Friday, 26 June 2009

講演を聞いて 【カタリバ大学 第2講】

カタリバ大学 第2講 「メディアと権力」
日時:6月21日(日) 13:30~17:00位(講演自体は2時間半位、残りはGD)
場所:ライセンスアカデミー 本社ビル
講演者:
吉田俊実(東京工科大学教授)
清水孝幸(東京新聞記者)
早野徹(朝日新聞コムラニスト)
寺脇研(カタリバ大学 学長)
参加者:学生:社会人(3:7位)
文責:しーな

コンテンツ
Ⅰ:「メディアと権力」
Ⅱ:紋切型の功罪
Ⅲ:公共空間とメディア


Ⅰ:「メディアと権力」
従来のメディア論→論調・報道の真偽や、その報道がバイアスされた情報であるが故の刷り込みについての論議が多かった。(寺脇さん)

吉田さんの研究
ジェンダーの観点からメディアを見ると・・・
新聞の報道で紋切型の表現が使われ、女性というジェンダーへの社会からの見方が歪められる。
また、「権力」という視点からメディアを見ると・・・
「新聞を読む」という行為を通じて読者は、その形式やシステムを経験的かつ暗黙裡に了解するしかない。
→新聞を鵜呑みにするのではなく、そこに何の情報が欠けているのか考えるようにする。

清水さんの意見
メディアの発信者たる記者・書き手に刷り込みの意図があるわけではなく、同時にねじ曲がったジェンダー感があるわけではない。

Ⅱ:紋切型の功罪
紋切型の表現(「女性は~である。」、「男性は~、対して女性は~。」等)は偏った意識を受けて側に促す可能性があるが、メディア、特に新聞という媒体は時間との戦いであり、安定感があり、使い勝手が良い紋切型の表現は使われることが多い。
⇒受け手にも新聞を一つのopinionとして捉え、それに対して突っ込みを入れるような読み方をして欲しい。


Ⅲ:公共空間とメディア
メディアは社会における公共の空間を作り出していくための装置である。政府と国民はメディアを通してコミュニケーションをしているとも言える。またそのために、新聞やメディアの報道によってポピュリズムが起こった事もある(小泉ブーム等)。
民主主義の装置とも言えるメディア。それに対するリテラシーをもっと付けていく必要があるだろう。


感想:
なんか、一週間近く経ってしまったのであんまり上手く再現できませんでした笑
就活のばかー。
まぁメモによると、「ベネッセの人がマインドマップ式でノートを綺麗に書いてて凄ーい」と思ったとか、「グループディスカッション難しーよ」、とか「社会人多い!」とか思ってたらしいですが、GDの時に感じたことがありました。
そのGDは東京新聞の記事で学生と政治家、他の視点で見れば若者と大人が対話する際に上手くコミュニケーションし合えないといった主旨の記事だったと思いますが、今や学生と学生、社会人と社会人の中でもディスコミュニケーションは大いに発生しうる。てか日々起こってる。属しているコミュニティや環境、思考のパターン、知識なんかによって、人はそれぞれ独自のスタンダード(バックグランド)を持っているものだし、完全に一致する人間など存在しえない、完全に分かり合うなんて到底無理だと思う。
まぁ逆に、そのスタンダードの共通点が多い人間ほど話が通じあうし、ある種シンクロしたような感覚を覚えて嬉しくなることもあると思う。
でも、人間として必要なのは、少なくとも社会人にとって必要なのは、このディスコミュニケーションを発生させるスタンダードの違いをいかに飛び越えていくか、上手く落とし所を見つけるかという所にあるように感じる。企業内で円滑にチーム作業をするという点でも、また、企業外の人間とバックグランドの違いの壁を乗り越える意味でも。勿論仕事を離れてプライベートで友人とか彼女とかやりとりする中でもこういったことはとても重要だと思う。
そのためのスキルを身につけるためのある一歩として、自分は夏休みに外国人の子供に勉強を教えるボランティアや中高生と話す機会がもてるカタリバ、また言葉でのコミュニケートツールが使いがたい難聴者へのボランティア等を通して考えて経験を得たいと思っている。

まぁその前に就職活動ですが笑
人はこんなにも他人を求めるのに、決して分かり合えない。
ロミジュリみたいだ。

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