Saturday 10 October 2009

【Diary】Concept of like/dislike

今日、沢木耕太郎の本を読んでいて巻末に沢木耕太郎と高倉健の対談が収録されいた。
対談の題名は、「死に場所を見つける」。
その対談の中に、年を経る、重ねる毎に人に対する興味、好意が少なくなってきた、またそれを喚起させるのが面倒になってきたという主旨の会話が書かれていた。

ここに自分の意識がいった。
翻って、自分自身に置き換えると、確かに自分にもそういったことは当てはまると思う。
両者とは背景や理由は違うと思うけれど、年々人への興味は減ってきている。
それはある意味、以前より他者の目を気にしなくなったという点も多いにあると思うし、ここ1~2年のダイナミックな人生的流動の中で「他人」への考え方を達観してしまったとも言える。
そして、自分自身が他人とのコミュニケーションを、どうやら苦手としている、面倒くさいと思っているのもその理由の1つだと考えられし、自身の弱さもそこに入ってくるのだろう。

それは人間関係においても同じであり、
今は完全に自分の心は不透明で自閉的。
透明であった時が小学生以来あったかは不明だけどw
まぁ少なくともopen mindではない。

「人はいったい人生で何人の人に好意を抱けるのか?」
両者のうちどちらかが発していた言葉。とても琴線に触れるものがあった。
今まで生きてきた中で友情関係、恋愛関係問わず、「好意」といったものをどれだけの人に抱いてきたのだろう。
そしてそれをどれだけ大切にできたのだろう。

キライ、ウザい、キモい。
これらの言葉を言うのも、他者をそうラベル分けするのも簡単。
ふつー、どっちでも、まぁ。
そんな区分も簡単。

でも、心から好意を持っていると言うのはとても難しい。
勘定抜きで、好意を持っていると言える、彼ら・彼女らを心に浮かべられる自分は幸せなのだ。
非常に居心地が悪い教習ライフですが、そんな中だからこそ発見できることもある。
そんな今日この頃。

2 Comentários:

新井家の人々 said...

それでいいじゃん!

Yusuke said...

>ありゃいくん
そう思います!w

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