Saturday, 6 November 2010

【Review】【Book】経済成長なき社会発展は可能か? <脱成長>と<ポスト開発>の経済学


 現在の生活水準はアメリカだと地球15個分、日本でも7~8個分の地球がないと維持できないと言われていますが、「成長」とか「経済的発展」が多かれ少なかれ尊重され過ぎるきらいのある現状に疑問を持っている時に出会った本。
 本書は著者の<脱成長>(仏語でデクロワサンス)と<ポスト開発>という2つの文献を一つにまとめた本らしいです。
 「持続可能(サステイナブル)な発展」という言葉が出てきてから久しいと思います(少なくとも自分が大学1年生の時にはSustainabilityの概念について学ぶ機会がありました。)が、著者はそもそも「持続可能な発展」という概念は自己撞着していると指摘しています。
 まず前提として、著者は今日の資本主義、市場優先の社会においては「経済」というものに対する信仰に似た心性が人々に根付いていることを指摘した上で、「持続可能な発展」という言葉もまた、経済信仰から抜けられない人々が「発展」という概念が優先されてきた現行のパラダイムを継続させるための言葉に過ぎないとしています。
 それに対して、著者の唱える<デクロワサンス>や<ポスト開発>の概念は、経済から抜け出すことを主眼としています。脱成長社会は今日の消費社会の上に創られる以上、お金・市場・賃金制を放棄する社会には成り得ないが、同時にお金や市場中心主義、賃金制社会によって支配される社会ではないと唱えています。
 また、「脱成長社会」には理想的なモデル(例えばアメリカのような)やそこへの模範的な到達方法というものはなく、ヨーロッパ、アフリカ、南米、アジア・・・・各々の地域で異なる展開を見せると筆者は予見しています。
 そもそも地球の資源が有限である以上、何か一つの生活様式を一般化することは不可能かつ危険なことであり、生態学の観点からも分化(機能の一極集中)はある特定の領域でのパフォーマンスを増大させるが、同時に全体のレジリエンス(困難な状況にもかかわらず,うまく適応出来る力)を脆弱化するという概念を紹介しています。
 経済成長を経て理想の社会モデル、おそらくはアメリカ的な経済成長に立脚した社会、へと向かっていくことは地球のキャパシティ的にも、そして多様な社会や文化を一括りにする意味でも不可能であり、発展パラダイムの次のパラダイムは遅かれ早かれやってくる事実が本書を読んでいると感じさせられる。
 もっと掘り下げて何度も読みたい本です。

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