Tuesday, 28 July 2009

【Review】【Book】革命的群衆

革命的群集
G・ルフェーヴル



私たちは確かに自我を持つ個人個人である。しかしながら、集団の中で、熱狂の渦に呑まれた時、愚にもつかない行動を取ることがあるのではないだろうか。ニーチェ(1970)は「狂気は個人にあっては稀有なことである。しかし、集団・党派・民族・時代にあっては通例である」と述べている。
自我を持つ個人個人が集まった時に生じる「大衆心理」は個人の心理とは全く別物であり、その心理の中で個人は集団に埋没する。そして平時では考えられないようなことが、この心理によって引き起こされる。
 ルフェーヴルは著書「革命的群集」の中で、「革命的集合心性は語らいとプロパガンダによって形成される」と述べている。
革命的集合心性については後述するが、筆者はこのルフェーヴルがいう所の「革命的集合心性」というものが、平時の状態ならば起こり得ない行動を促す心理状態だと捉える。民衆が寄り集まった状態の際に生ずる大衆心理が、プロパガンダによって革命的集合心性、つまり普段では考えも及ばないような心理状態に昇華されるのである。
つまり、民衆に平時起こり得ないような、統一的な行動・思考を起こさせるためには、プロパガンダによる求心的事物の創出・演出とともに、この大衆心理という因子が重要になっているのだ。
大衆のなかで個人はその中に埋没する。なぜなら、個人の自我はその中で大衆心理によって淘汰されるからである。個人は大衆に逆らえ得ない。ルフェーヴルは集合体(=大衆)からは、個人にとってそれに逆らうのは狂気の沙汰だと思わせるような強力な印象が発生すると述べている。そして、そのような集合体は単に他の人間と同じような行動をしていれば一番安心だという順応主義的な気持ちを促し、それに従わなければその集合体内の仲間から暴力的な報復行為を被るのではないかという恐怖心を誘発するだけではなく、集合体という大きな塊はそれだけで個人の抵抗の意思を奪うものだと述べている。
このことから、大衆、そして大衆心理は大きな力を持っていると述べることができる。
ルフェーヴルは群衆というものを段階ごとに分け、論じている。
ルフェーヴルは集合体とはすなわち、純粋な単なる大衆であり、意識的に形成されたものではないとしている。しかしながら、そこに集合心性、つまり大衆心理は存在する。なぜなら、集合体がどんなに無意識なものであり、同時に様々な異質の要素から構成されるものでも、集合体を形成する個人個人はもっとも広い意味での社会に属し、社会が成立するために不可欠な基本的な集合観念、例えば生命や財産は尊重される権利があるといった観念を共有しているからだ。大衆に大衆心理が宿るのは、過去においても、現代においても、そして恐らく未来においても、この世界で個人が生きる上で守られるべきもの、社会が成り立つ上で不可欠なものを共通観念として所持しているからだと言える。勿論、例外も存在すると考えられるが、それは極めて稀であろう。
では、革命的結集体であるが、これは集合体がルフェーヴルの言う所の半意識的集合体という経過を経て昇華された状態であり、そこに大衆心理にある種、情動が加わったものだと言える革命的集合心性が発生するのである。
ルフェーヴルは革命的集合心性に結びついてくる感性的な特徴として、「不安」と「希望」を挙げている。このような情動が大衆心理を革命的集合心性に昇華するといえるだろう。
ゆえに大衆心理とは寄り集まった民衆の中に発生し、そこからそれに情動的な方向付けが加わることで通常ならあり得ない行動を集団単位の人間に引き起こす心理状態、つまり革命的集合心性が発生するのだと筆者は考える。


なんて事をこの本を参考に、今から書き直したい卒業論分で書きました笑

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